August 19, 2006

運転免許証

先日、とある交通事故についてのニュースを見たの。運転手60過ぎの女性が前方不注意で前方の車に衝突。カマを掘られた方はその前のトラックと挟まれたことも重なって、押し潰されるような形で2人の子供を亡くしたとか。その子供たちの両親がいろいろとコメントしていたの。それを見ていて、何だかなぁと思わされてしまったわ。
たしかに、カマを掘った女性は運転するべきではなかったし、責められてもしかたないわ。でも国は資格を取るためにの年齢を決めてはいても、運転していてもいいということに年齢制限をつけているわけではないのよ。だからわたしとしては国の制度に問題があるのだと思うのよね。もし60歳以上の人は運転してはいけないという決まり事を作ったら、そしてその人たちには特別に車となる足を用意していれば、お年寄りが運転する事故は起きないわよね。
でも事故を起こす年齢層はお年寄りばかりではないでしょ。それを「年寄りなんだから運転するな」なんて一方的じゃない。ちゃんと運転できる人だって中にはいるはずよ。それに「病気なのを知っているのに運転するなんて間違っている」なんて、病気だから運転してはいけないとなったら、救急ではなく、通院するだけであっても、いろいろと不都合が出てくることがわからないのかしら。
日本という国は「人民のための・・・」云々とはいっていても、まだまだ足りないことだらけよ。
子供たちを亡くした大きさは何となく想像はつくから、そんな風に誰かを責めるようになってしまっても仕方ないような気もしないではないけれど、それにしても、事故を起こした加害者も被害者も相手を思ってないわよね。想像力に欠けすぎてるわ。加害者のお年寄りは自分が運転に適していないということを自覚するべきだったろうし、被害者はメディアを通して公言するなんておかしいわ(公言することによって考える人が増えることはいいことだと思うけれど)。そして裁判官、命が消えたというのに、消されたというのに、甘すぎる判決。
もっと住みやすい国にならないものかしらね?
わたしは2年ほど前にICDという除細動器を体に埋め込んでからは運転していないの。免許証は身分証明書化してしまったわ。というのは、いつ発作が起きるかわからないのに、もし運転しているときに発作を起こして誰かを巻き添えにしたらと、考えるまでもないことでしょ。担当医は何年か発作が起きない状態が続けば運転をしてもいいと言ってはいるけれど、二度と運転するべきではないということを説明をされなくても、暗黙の了解なのよね。わたしが運転しないから偉いでしょと言っているわけではないのよ。ただ想像すればいいのよ。それにしても、ふと気づいたのだけれど、除細動器を埋め込まなくてはならない体のわたしに対して、「運転してはいけません」っていう通告は医者の「しないでください」という言葉だけなのよ。おかしくない?これも不思議よね。取り上げるまででなくても、規制するべきだわ。
運転することが好きなわたしにとって、これは辛いことなのよね。それに、何かちょっとしたことで出かけたくても、足がないから誰かにお願いしなくてはならないのよ。もっと便利なところに住んでいれば、少し歩くぐらい今はできるけれど、便利ではないから足が必要なのよね。国は通院するにあたっては、とても少ない額だけれど補助金があ出るの。でも、わたしみたいなのには難しいのよ。タクシーを使えばいいことだと言う人がいると思うけれど、わたしにはタクシーを使える余裕がないのよ。お年寄りも余裕なんてないんじゃないのかしらね。今の年金がいくらだとか知らないけれど、多くはないのでしょう?毎回タクシーで数千円払うより、自分で運転する方が気が楽だしお金がかからないものね。だからって、お年寄りが運転することに賛成しているわけではないけれど。更新のときに、実技試験を導入するべきよね。
何だか話がずれてしまったけれど、わたしが言いたいのは2つ。想像力を養ってほしいということと、国よ、何とかしろということ。
ん〜、少しすっきりした。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home